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    科学って自由なもの?②

    おはようございます、店主の息子です。

    前回の投稿では、「次回、エスノメソドロジーの報告をします」との予告めいた内容を記載しておりましたが・・・。大変申し訳ございません、ほぼ勉強できておりません。「ほぼ」というのが、エスノメソドロジーが「科学の方法」の1つということはわかったのですが、そもそも「科学の方法」の全容がよくわかっていないという根本的な知識不足の問題に気付いたわけです。この知識不足を補うため、この1ケ月で自然科学系と社会科学系の本をそれぞれ数冊読んでみましたが、意外だったのは、科学について語っている本が少ないということでした。もっとあふれかえっているのかと思っていたのです(にわか科学」の本はそれなりにあります)。それといろいろと読んでいくうちに、とくに社会科学分野においても、先発優位みたいなところがあるように感じられました。いわゆる、重鎮と呼ばれる学者たちのご意見が尊重されて、それを正しいとする風潮です。誰も突っ込める人がいない、ということでしょうか。自然科学だと可視的な現象を対象にしているので、おかしければ誰でも突っ込むことができます。ところが、社会科学の場合、概念(目に見えない)を対象にしていますので、言いたい放題みたいなところがどうしてもあります。そうなってくると、言っている(書いている)ことが本当なのかどうか、その裏付けが非常に重要になってきます。それが確認できないのであれば「それってあなたの感想ですよね by ヒロユキ氏」みたいなことになっていきますので・・・。参考文献に羅列している、これを裏付けのデータとするならば、本当ですか?という感覚が、私のなかであるんですよね(疑いという程度で実際に確実な確認をしたわけではない)。それと、何か窮屈に感じるんです。もちろん、研究の作法も必要でしょう。理論を無視してはいけないでしょう。わかっているんですけれど、窮屈に感じるんです。科学に大切なものとして直観を指摘している。しかし、その割に直観を認めているふうで認めませんというところを感じるんです。パラダイム(ものの見方)というそれっぽい言葉も、結局は、自分で社会の一部をくり抜いているだけであって、社会がいろんなものとの相互作用を行って成り立っているという考え方との間に矛盾が生じているようにも思います。愚痴っぽくなりましたが、もう少し科学について、自分なりに考えてみる時間が必要だと思いました。結局、先人たちが科学という概念を作りだしているのですが、「それ本当ですか?」という思考も必要なんだということに気付きました。また、議論しましょう(笑)

    今日は、ここまで。