こんにちは、店主の息子です。
これまでの研究では、統計学の知識を十分に活かしきれていないところがあります。特に修士論文の執筆では、実証的研究ということで1次データ集めに奔走していましたが、このデータを客観的に評価し、これを活かして十分にモノが言えていませんでした。ところで、この1次データって自分しか持っていないデータですし、聞き方(対象者への質問項目)によってはオリジナルですから、本当に貴重なデータなんです。大学院の指導教員もこうしたデータを報告すると、関心が高いようで目を輝かせて聞いてくれます。ここで、この集めたデータをどのように料理するか、これがその研究者としての力量であり、研究の成果、肝と呼ばれる部分になるのだと思います。統計の知識がどうしても必要になってきます。もちろん、調査前にこうした知見を加えて調査設計をしておく必要があります。そして、この力量には、いろいろと考察を加えていくという作業がありますけれど、なかなか新しい知見を提示することは難しいです。さらに、苦し紛れにデータの解釈も含めて考えが飛躍しすぎるとつまらないものになります。多くの研究で見られるのが、結論での行き詰まりによる飛躍ですね。ある学者によれば、例えば、仮説検証型の研究とした場合、仮説の内容はどうでもよく、この仮説をどのように正確に証明、説明するか、(ちょっと極端ですが)これが大切だと言います。前にも述べましたが、社会科学としての因果関係の説明って難しいんです(相関関係ではありません)。こうした用語も統計的な意味を含んでいますが、この統計分野の知識が研究の前提にあるかどうか、これが、研究の成果を大きく左右するものになると思います。ところが、統計データに振り回されすぎてもいけないところもあります。この加減が本当に難しいのだと思います。それには、外れ値の取り扱いなどがあります。最終的な判断や考察には、必ず主観が入り込むものですが、如何に客観的に説明できているか、ただし、統計がすべてではないということです。頭ではわかっていても、なかなかデータをコントロールすることは出来ませんね。多くの学者は、それが出来ていると思い込んでやっている、いや、そうでないと研究にならないことを知っている、このどちらかのような気がします(笑)。そういう意味で、数値的なデータ結果で、平均値や偏差、共分散などのいろいろな統計的な用語とそれが示す意味がありますけれど、研究者としては、理解しておく必要があるのだと思います。
今日は、ここまで。