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    自然科学と社会科学

    こんにちは、店主の息子です。

    改めて、これまで2年間続けてきたブログを読み直してみると、お恥ずかしい内容で恐縮です。ただし、これもまた事実なんですよね。その時の一生懸命の考えや気持ちと思えば、愛おしくも思えます。自分が成長したと思えば良いことのように思えますし、恥さらしの行為と思えば消しさりたいように思えます。そう考えると、自分がその事実に対して、どのように向き合うかということが重要になると思います。このことに関連するかどうか・・・。主題にあるように、自然科学(物理学や化学など)のように実験の難易はともかく、実験により得た事実(現象)により理論化し、説明するという意味においては、伝わりやすい(実験結果を可視化しやすい)という特徴がある、と言えます。その一方で、社会科学(経済学・文学・法学など)では、言語を中心に扱いますし、対象が人ですので、非常に事実であることを証明しにくいですね。人は、嘘をつきますし、本音を言いませんし、かっこつけますし、真実を追求するうえでの事実確認が怪しいというところは、拭えません。そういう意味では、コンサル的な意見もそうですし、社会科学の論文については、突っ込みどころのある研究があふれています。もちろん、自分の研究も含めてです。また、そもそもの科学が求めていることは、未来のなりたい姿、そのヒントという観点ですよね。そう考えると、理想論に終始した内容も同様に進展がありませんし、結局、自分自身がどのように真実を明らかにしていくかということ、その姿勢が重要になるのだと思います。そうなると、社会学者の方が議論されているように、研究においては、コンセプトの意味や形成を明確にしていく、これが、まず基本的、知的な作業になるように思います。それは、深く疑問を持ち続けるということにも関連しますし、自然科学も社会科学も同じだと思います。ただ、脳みそを動かし続けるということですから、これがしんどいです。こんなもんだろうと思考を止めてしまいがちです。あと1歩踏み込んで考え抜くかどうか、そして真実に迫っていく、これが、研究者もそうですし、はたらく人もそうですし、いろんな分野で活かされることだと思います。そんなわけで、今日も本を読んでいろんな知的な刺激を得ようと思います。苦行と言えばそうですが、楽しい、成長していると感じれば、頑張れますよね(笑)

    今日は、ここまで。