こんにちは、店主の息子です。
社会科学は、自然科学のように実験室にこもってというのではなく、どこにいても研究が出来るというのが特徴と言えます。つまり、思考のスイッチを自ら入れてやれば、科学できるということです。その点、自然科学の実験などは、コロナの影響もあって不自由な時期かもしれません。ところで、私の研究分野にも関連するのですが、先日、改めて「社会学」って何だろうと疑問を持ち、ある本を手にしました。その本によれば、そもそも「社会」という言葉が世に出たのは、明治期頃の話であるとか。その意味は、広く言えば、人間が生活するすべてのこと(空間・時間・場所などなど)を指す、と述べています。そうした時に、小学校や中学校の教科に「社会」があります。それが高校では、日本史や世界史、地理、現代社会など専門的な分野・呼称を使います。これって最初の意味(前述の社会の意味)の「社会」に合っているのか、という疑問が沸いてきます。さらに大学に目を向ければ、以前は良く耳にしていた「社会学部」って、今聞きますか?謎は深まるばかりです。このことについて、また違う方の見解も混じりますが、「社会」が前述の意味であるならば、本来、人間が見る現象すべてが社会ということになります。そうなると私たちが学校全般で学んでいるすべてが「社会学」に関連するということです。つまり、自然科学にしても(人文)社会科学にしても、「社会学」というふうに考えられるのです。そうした視点から、例えば、大学に医学部や工学部などの理系分野、法学部や経済学部などの文系分野など、「社会」の中の部分的な狭義の学問領域を勉強しているというふうに見ると、各専門学問分野が食い散らかしてもなお残る部分、それをフォローする役割として、やはり「社会学」が必要になるのかなとか思います(極端な考え方です)。さらにこの考えによると、専門性が特化したり、衰退したりするなかで、社会学の学問分野というのは、伸縮するのではないか、というふうに考えられるわけです。つまり、学問の中に仕切りを設けすぎているようにも思うのです。以上、生産性のない、他人に呆れられる疑問ですが、こうした関心を持つこと、いろんな疑問を持つこと、ボケ防止も含めて脳を刺激する、脳内に汗をかく、そうしたことが生活を豊かにするようにも思います。
今日は、ここまで。